プルーストを読むということ 〜感性で見る言葉〜



—世界は一度だけ創造されたのではなく、独創的な芸術家が出現したのと同じ回数だけ度々作り直されたのである— 





フランスの文豪マルセル・プルーストの失われた時を求めて。
世界最長の小説としてギネス認定もされているほどの、全7篇によって構成されるこの小説は、
その文字数の多さから読むのがとにかく大変だということで有名な作品です。

そんなこの作品が、これだけ世界中のプルーストファンに愛されるのはなぜなのでしょう。    



フランス映画やフランス文学というと、雰囲気が独特というか、
ハリウッドものみたいにストーリーがはっきりしていて理解しやすく、大衆うけするというのとは少し違いますよね。

プルーストのこの物語も、特にそんな独特な世界観を持っていると思います。



...で、結局これは何を言っているの?!というような、とにかく長い文章の連続。
そう感じて途中で読むのをやめてしまう人も多くいるのではないでしょうか。

よくわかります.....
私も初め、コンブレーという場所での幼少期の思い出話がひたすら続く一巻を読んだとき

「人物説明まだ続くの....そこそんなに細かくなくていいから早く物語進めて欲しいなぁ....」

「え、私もうページ捲ってる?読んだ文章が右から左に流れていくだけで全然頭に入ってこない...」

というような感覚に何度も陥りました。



例えば、

窓辺を離れたママンに合流するために戸外の暑さを後にした私は、かつてコンブレーで自分の部屋に上がっていったときと同じひんやりとした感覚を覚えたがが、蹴り上げの低い木造の小さなコンブレーの階段とは違って、ヴェネツィアの冷気は大理石の高貴な階段の上に海から吹いてくる風によって保たれており、その階段には海の青緑色を反映した太陽の光がたえずきらめいて、かつてシャルダンから学んだ有益な教えにヴェロネーゼの教えを付け加える者だった。



この一文は第6篇 “逃げ去る女“からの抜粋ですが、いつ句点が来るのだろう、、、と、これで一文。
とっても長いですよね。





でも!飽きそうになっていた頃に突然、ものすごく美しい描写や感性に触れられる瞬間が待っていたりして。
このハッとさせられて心が喜ぶような感覚を味わうと、それを逃してはいけないと、いくら挫折しそうになってもとりあえず進んでいけるのです。


プルーストの世界観とは一体なんなのでしょうか。


前述したように私が最も惹かれる点のうちの一つは描写の美しさです。
彼の持つ言葉たちー 五感や自然にまつわる言葉を駆使した表現、そしてそれによって一つの物事から様々なイマジネーションが広がっていくような文章は唯一無二の魅力的を感じさせます。

この一文は、 第一篇 “スワン家の方へ”の中の “スワンの恋“から、ヴァントゥイユのソナタの小楽節に関する描写からの抜粋で、ヴァイオリンを魔法のかかった箱、そしてそれによって奏でられた音を人魚や精霊、また目に見えない純粋なメッセージとして喩えています。 


ヴァイオリンは、私にとって昔からいつもいつも一緒にいる楽器ですが、その姿をこんな美しく捉えられると、なんだか演奏家として、音色の作り方や楽譜に並んだ音符たちの見方まで変わってきますね。


そう、プルースト の作品を読むときには
ストーリー性にフォーカスするのではなく、
このような描写の美しさを自身の感性と照らし合わせながら、目に見えない感覚やはっきり言葉にならないイマジネーションを文章として書き出してくれた創造物だ、という感覚で楽しんでみてはいかがでしょうか。



そうすると、細かいこの描写たちに一気に光が加わって、ますます生き生きと皆さんの感性に入り込んでくるかもしれません。


そして、感性といいますか、頭、心、魂....と人々の内面に訴えかけてくれるような、わたしがプルースト 作品で惹かれるもう一つの観点。
それは彼のものごとへの考えの深さです。


たとえば一言で片付けられそうなちょっとしたことや、見過ごしてしまいそうな人の仕草、
心情の変化。 そんな些細なありふれた物事に対しても、ものすごく深く広く考えを巡らせているのがプルーストの特徴なのかなと思います。
だから、文章がとっても長いのですが。

考えすぎ、気にしすぎ。と言われてしまいそうな一面もありますが、でもそのように奥底まで深めていくからこそたどり着ける本質ってありますよね。
そんなものをこの作品におけるプルーストの文章から感じることができるのです。
そして、その本質にたどり着くために避けては通れなかった過程、それがこのながーい一文一文なのかな、と。 

特に、芸術とは。芸術家とは。その存在意義とそれらが人々にもたらす影響とは。
などという点において、彼のもつ本質をついた考えの数々にこの作中ではたくさん出会うことができ、
私自身も音楽家としてハッとさせられることが多々あります。

私にはこの音楽が、読んだことのあるどんな本よりも真実な何ものかであるように思えた。そしてそれは次のことによると私はときどき考えるのだった。


人生について私たちが感じることは、概念の形で感じられるわけではないので、それを文学的、つまり知的に翻訳することは、記述し、説明し、分析することになるが、音楽のようにそれを再構成するわけではない。
音楽において音は心の抑揚を帯びていて、感覚の内側にある最先端の部分を再現しているように思えるのだが、その部分は、私たちがときどき体験するあの特別な陶酔をもたらしてくれるものなのだ。
その陶酔は、「何と良い天気でしょう! 何と美しい太陽でしょう!」と言ったところで隣人に知らせることは全然できない。


同じ太陽、同じ天気がその人の心にはまったく違う振動を呼び 起こしているのである。
« 囚われの女 »より。




プルースト は幼少期から喘息を患っており病弱で学校も欠席が多く、またとても繊細で神経質な心の持ち主でした。

喘息発作への心配もあり、そしてその神経質な性格から、アパートの部屋はカーテンを閉めきり外気も光も遮断し防音にして音も遮断。
暗闇の中、いつが昼でいつが夜だかわからないような生活で執筆を行なっていたというプルースト 。


一見、大丈夫かな?と思ってしまいますが、
このように自分の世界を奥へ奥へとひたすら進んでいったからこそ辿り着けた精神の境地があり、
今こうして時を超えてそれが作品として世界中に存在し続けているのですね。


病人というものは、正常な人よりも己の魂により近く迫るものだ



プルースト の言葉です。



自分の魂の声をじっくり聞くことって、日常ではなかなかできないことですよね。


このコロナ禍の今だからこそ、
外に出て人に会うかわりに、深呼吸して落ち着いて自分の心と向き合ってみる。



そうすることで、プルースト の世界観にまた一歩近づけるかもしれないですね。



心を広げて “感性の目“ で、彼の言葉たちを見てみてください。





岡村亜衣子

岡村亜衣子 Aiko Okamura | Violinist

Violoniste Japonaise à Paris パリ在住ヴァイオリニスト 岡村亜衣子 オフィシャルサイト

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