フランス芸術と歴史の融合 無伴奏ソナタ5番にみるイザイの生きた時代
私の大好きなヴァイオリニスト&作曲家、Eugène Ysaÿe ウジューヌ・イザイ。
と称賛されたイザイ。彼なしでは19世紀後半~20世紀のフランスヴァイオリン界の発展はなかったといっても過言ではありません。
⚫︎サロンでの芸術家との交流
|イザイの生きた時代|
歌詞や演劇要素の入ったこれらのジャンルの作品は、わかりやすく大衆受けしやすいため盛んでしたが、
フランスの作曲家の書いた純粋音楽が、一般聴衆が足を運ぶコンサートのプログラムに並ぶことがほとんどなかったのです。
そんな中、転機が訪れます。
普仏戦争に負けたフランスが、国としてナショナリズムを掲げていた1871年に、フランスの作曲家たちが、自国の音楽が発展していかないフランス音楽界の現状を打破しようと、国民音楽協会という音楽団体を設立しました。
フランス作品しか取り扱われることのない国民音楽協会のコンサート、これに聴衆が足を運び、当時のフランス作曲家たちの音楽(フランク、サン=サーンス、フォーレ、ドビュッシーetc...) が広まっていきます。
これが成功を収め、フランス音楽がどんどん発展していき、室内楽や交響曲などのフランスの純粋音楽も、一般のコンサートのプログラムに並ぶようになりました。
そんな中、このイザイというヴァイオリニストの存在は、様々な作曲家に大きな影響を与え、共にフランス音楽界を盛り上げいきました。
いま私たちが、フランス音楽といったら思い浮かべ演奏するような楽曲たちが生まれ発展してきた、激動の時代のパリを生きたのがイザイなのです。
|イザイ 無伴奏ソナタ5番|
それと同様に過去の作曲家への敬意がどのように彼の創作に影響したのかも注目すべき点です。
イザイはヴァイオリニストとして、特にバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを自身のレパートリーとして大切にしていました。
【別記事】イザイとバッハ (こちらにイザイがどのようにバッハに関わってきたか詳しく触れています。合わせてこちらも参考にお読みいただけたら幸いです。)
これらの様々な要素(歴史、敬意、影響、横のつながり、時代の風....)を融合させ、
バッハの時代からイザイの時代までの音楽、そしてヴァイオリンの発展をまとめた独創的な作品なのです。
なぜこの作品が面白いのかというと、
この作品が献呈されたのは、マチュー・クリックボーンという人物。
クライスラーやエネスコなど、他のヴァイオリニストに比べるとほとんど知られていない人ですよね。
クリックボーンは、ベルギー人のヴァイオリニストで、イザイの愛弟子兼イザイカルテットの2nd ヴァイオリン奏者という、
この6人の中ではイザイと最も多くの時間を共にしたであろう、とても親しい間柄だった人です。
では、具体的に5番のソナタに反映されているクリックボーンの要素とは....?
c’est un artiste ; très bon musicien ; grande et belle technique d’archet et de doigts ; bel avenir ; homme sérieux
左手も弓の扱いにおいても、素晴らしいテクニックを持ち合わせ、音楽性にも長けた、真面目で将来の有望できる芸術家です。
(2019 Marie Cornaz « À la redécouverte d'Eugène Ysaÿe »より)
その中に « Les Maitre du violon » というクロイツェルやカイザーなどのヴァイオリン教本からいくつかのエチュードを抜粋し、ヴァイオリンの技術向上に必要な練習ツールをまとめたような本があります。
クリックボーンのこうした一面も、イザイはもちろん汲み取っていたのでしょう。
この5番のソナタには、フラジオレット、左手ピチカート、アルペジオ、重音など、小技のような様々な種類のテクニックが散りばめられており、クリックボーンのエチュード教本コレクションの中に出てくるパッセージに似たテクニックがたくさん使われています。
なんとなく、音型や使うテクニックが似ていませんか?
このソナタは、シーンが次々に移り変わっていくような彩鮮やかなキャラクターの登場が特徴的で、ほかの5つのソナタに比べてテクニックの多彩さが目立ちます。
ヴァイオリンという楽器の多様性を引き出すようなパッセージは、クリックボーンの鮮やかなテクニックや理念に共通し、5番のソナタに反映されたクリックボーンのもつ要素の一つと言えるでしょう。
クリックボーンの演奏者としての顔、教育者としての顔、そしてヴァイオリンテクニックの教育へ信念を、イザイの手を加えて散りばめたのです。
|フランス芸術界とイザイ|
これは、イザイと親交の深かったドビュッシーからの影響が大きく表れています。
イザイのソナタ5番の中には完全5度、4度などの音程が多用されていますが、これはドビュッシーが多用した5音音階を連想させ、まるで教会の鐘の響きがする和声です。
|変容の時代を生きたイザイ|
今の時代にいると、まるで言葉を話せない外国人のような気分になる(1989 Maxime Benoît-Jeannin « Eugène Ysaye »より)
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