フランス、パリ、わたし。私の中に隠れた”何か”とプルーストとの出会い
フランス、パリ。なぜかずっとこの遠い地とその芸術に心が惹かれていました。
何か特にきっかけとなる映画や出来事があったわけでもなく—
フランス風の雑貨やファッション、カフェやレストラン、装飾に歴史や芸術。
日本にもあふれているフランスの文化に触れると、なんとなく、とっても心が喜ぶような感覚を覚えました。
それは、フランス音楽を演奏するときも同じ。
10代半ばごろから、サン=サーンスやラヴェル、ドビュッシー、フランク、そしてイザイといったフレンチレパートリーに関わる機会が増えてきました。
フレーズ間、間の感覚、色彩、ハーモニー.....このような曲を演奏するときに、自然とその音楽的アイデアが入ってきて、何か私の中に備わっている断片とマッチするような感触をいつも感じていたのです。
それが何なのか、どこからやってくるものなのか、その正体は謎のままでしたが。
また、昔から歴史、特に世界史を学ぶことが好きだった私は、
フランス音楽の持つ歴史背景にも魅力を感じていました。
19世紀半ば、フランス国民音楽協会の発足によって、独自のスタイルを追求しながら発展したフランス音楽界。
そこには、印象派画家や象徴派詩人、そして20世紀になるとバレエリュスなどといった他分野のアーティストのコラボレーションが大切な要素となっていたのです。
ドイツ音楽のようないわゆる純粋音楽ではなく、
芸術の中の音楽という、フランス音楽の持つ繫りという一面にも強く興味を持っていたからこそ、フレンチレパートリーを演奏する際に一段とインスピレーションが湧いてくる感じがあったのでしょうか。
そんなことから、自然とフランスに留学することを夢見るようになった私。
何か正体のわからない魅力に突き動かされて。。。
22歳の時、桐朋学園大を卒業する頃、憧れていたパリ音楽院への入学が許可され、晴れてフランスに留学することが叶いました。
そして、パリの街に身を置き音楽を勉強していく中で、
一歩外に出たらインスピレーションの宝庫である、この街と芸術の関係の虜にどんどんなっていきました。
そのような環境で、私の感性を動かしたフランス音楽を、フランス人の素晴らしい音楽家たちと関わりながら存分に学べることが、凄く幸せで新鮮で....。
数年後、転機が訪れます。
とあるきっかけで、プルーストと音楽をテーマにしたフェスティバルのコンサートで演奏する機会をいただきました。
音楽と芸術のつながりにずっと惹かれていて、そのようなテーマのプロジェクトに関わることを心待ちにしていた私にとっては、最高の機会。
早速、準備としてその世界に浸かってみようとプルーストの失われた時を求めてを読み始めることにしました。
そこに、私の心の扉を開いてくれる出会いが散らばっているとは知らずに。。。。
彼の文章、世界観、そして音楽への想い。その美しさと本質をついた深さ、そして私の中にある感性となにか重なる点を見出し、ページをめくればめくるほど、私の目と心に衝撃と喜びが走りました。
とりわけ、ヴァントゥイユのソナタに関する彼の描写には思わず目と心が釘付けに。
このコンサートのプログラムテーマでもあった、”ヴァントゥイユのソナタ”。
作中の架空の作曲家ヴァントゥイユが作った、この物語の中で大事な役割を果たしているヴァイオリンとピアノのためのソナタなのですが、この作品の空想にあたっては、サン=サーンスやフランク、フォーレといったフランス人作曲家からのインスピレーションが、プルーストの創作アイデアを生み出だしました。
月の光の波への反映、小鳥のさえずり、空中に浮かぶシャボン玉の消え入る様子....そして人の心の移りゆき。自然や心を音楽のフレーズと照らし合わたプルーストの比喩表現の美しい世界に一気に引き込まれます。
というのも、私もこのような例えをフランクやドビュッシーなどのフランスもののソナタをピアニストとリハーサルするときによく使っては、楽しんでいました。
しかし、それを失われた時を求めての中に発見した時ーーー
私が音楽を奏でる時に抱く感情や感覚に、日本人の私の感性がフランス人の文豪であるプルーストの言葉に表現されている!と不思議な感動で胸がいっぱいに。
ヴァイオリンの音色と言葉や感情、という私にとって常に共に生きてきたもの、そして私の心の中に芽生えながらもうまく言い表せなかったことを
プルーストの感性と巧みな表現で、初めてこの感覚を目で見ることができたのです。
そして、この芸術的出会いが私が長年抱いてきた自分とフランス音楽の繋がりについての秘密が解き明かされていくきっかけとなっていったのです。
この不思議な感覚と共通する感性の秘密はなんだったのでしょうか。
私がプルーストの文章で特に惹かれた点は、自然の表現と繊細な心理描写の比喩。そして、しなやかで心にスーッと入り込んでくるような言葉たち。
実はこの要素に私のルーツとの繋がりがあったのです。
19世紀半ば、幕府の歴史に終わりを告げ新たな時代に差し掛かろうとしていた変換期にあった日本は、
ヨーロッパとの交流を盛んにしていこうと、パリ万博へ参加します。
この万博をきっかけにジャポニスムが流行していったパリ。
そこで特に注目を浴びたのは日本の芸術品でした。
そして日本の芸術品をお手本に、新たなスタイルの発展を志す動きがフランス芸術界で起こりました。
あれっっっ。自然、色彩、繊細な曲線.....
私がフランス音楽やフランスの芸術に触れるたびに惹かれていた要素.....
実はこれは私の生まれ育った国の文化に帰還することだったのです。
プルーストの文章も、ヴァイオリンのフレンチレパートリーも、常にこの要素が私に与えるインスピレーションの根源でした。
そう、生まれた頃から自然と身体と心に刻み込まれてきた日本の感性を、異国の文化の中に無意識に見出していたから、私はこんなにも漠然と、そして強くフランス芸術に惹かれてここに来たのだと、プルーストの文章をきっかけに自分の心と向き合って、またフランスと日本のつながりを辿ることで、これまでぼんやりしていた何かに光が差し込むような場面に立ち会えたのです。
日本とフランス、二つの文化の持つ何千年もの伝統の融合。そして、それに関わる人々や街。
そのようなものを、音楽表現を通じて探って伝えていくことが私がここにいる意味なのではないかと、感じています。
私の中に起こっていた不思議な感覚を通して、パリと日本のつながり、そして音楽のもつ本質と人とのつながりを、演奏家目線で伝えたいという想いが私の中にずっとあったのですが、
0コメント