フランス、日本。二つの国の芸術交流、そして自然との調和


ジャポニズムの流行によって、日本の芸術がパリで大人気となった19世紀後半。

その影響は、パリの芸術家や作曲家にも大きく及び、日本の芸術から受けたインスピレーションによって生まれた作品やスタイルは数えきれません。

このジャポニスムがあったからこそ、今世界を麗しているフランス芸術は発展を遂げました。


日本人にとって、フランスの印象派絵画はどこか親しみやすく、モネやルノワールなどの印象派の絵を好きな人は多いと思いますが、

私たち日本人が、フランスらしいという印象を持ち愛好しているもののルーツには、日本の芸術要素が含まれているのです。


でも、そもそもなぜ遠く離れたパリという地で日本の文化がここまで流行したのでしょうか。

そして、日本の芸術の何が、こんなにもフランス芸術界に影響を与えたのでしょうか。



| ジャポニスム流行のきっかけ |



日本とフランスの交流が始まったのは、今からおよそ150年以上前。

当時の日本は江戸時代末期で、それまで200年以上もの間、鎖国という体制をとっていました。そんな中、アメリカからペリーという提督が大統領の開国要請書と共に黒船で来航し、ついに鎖国の歴史に終止符を打ったことで、海外との親交や外交の道が開かれた変換期に突入した日本。

この小さな島国の体制が移り変わっていく頃に、フランスとも条約を結び、二つの国の交流が始まりました。


そんな中1867年に開かれたパリ万国博覧会に、日本が初めて参加します。

当時国政的に対立関係にあったイギリスが成した万博の成功に対抗して、フランスが開催したこの万博では、さらに斬新な試みとしてヨーロッパ外諸国の招聘を行いました。

そんなわけで、フランスから万博の招待状を受け取った日本。


この時、日本が参加した意図というのは、鎖国の終わりによって、外交を活発させていきたいという政治的なものでした。


ですが、その日本側の思惑とは相反し、このパリの万国博覧会で注目を浴びたのは、日本の芸術品。この魅力の発見がきっかけで両国の文化の結びつきが始まることになります。


この万博の翌年、以前よりじわじわと広まってきていた倒幕の動きが結果を成し、日本で250年以上続いた徳川幕府が終わり新しい政府主導の元の新しい国家体制が始まりました。明治という時代の始まりです。


この明治政府は、日本の近代化、そして文明開花を掲げ、ヨーロッパに劣らない国の構築に向けて進んでいきました。

そのような動きがあったこともあり、この万博は日本にとって大きなきっかけとなり、これを機にどんどん欧州進出が盛んになっていきました。


実際、日本に関する書物もこの万博以降増加し、そのジャンルにも変化が現れます。

鎖国解除の影響で、1850年ごろからすでに徐々にこれらの書物は増え始めていましたが、その頃から万博以前にかけては、

日本におけるキリスト教の布教に関するもの、そして外交官が記した政治に関する書物が主な内容でした。


しかし、万博後に出版された書物は、芸術、文学、演劇、音楽、造形美術、そして日本の小説といった内容のものが一気に増えました。

これは、万博による日本文化への関心の高まり、また以前は外交官など政治に関わる人特定の人しか足を運べなかった日本に、弁護士、銀行家、実業家など明治政府に雇われより広い層のフランス人が訪れたという背景があります。

そして、日本の外交官もフランスにて日本文化の普及に努めたこともあります。



日本の文化や芸術がパリに入った背景には、

日本の開国や明治維新といった歴史的改革、そしてフランスのこのような政治背景にあったのです。

では、実際その万博で日本がどのようにフランスに印象を与えその後の発展に影響を与えたのでしょうか…..



| 日本の芸術がパリに与えた影響 |


1867年のパリ万博を機に、日本の文化と芸術品がフランスで評価されるようになります。

この万博では具体的に、日本のどのような点が評価を受けたかというと…?


この時、日本が出展したのは、浮世絵や和紙、漆器。また、日本茶屋建をて日本の日常を再現した日本の展示ブースでは、着物姿でお茶出しをする女性の姿も人気となったようです。

まだ、中国との区別もついていなかったような遠いアジアの国、日本を初めて目にした人々は、その芸術の精巧さに衝撃を受けます。


この万博は日本文化が欧州に紹介されたきっかけに過ぎず、ジャポニスムの流行として日本がフランス世間を風靡するのは、また少し後の話ですが、

和紙、絹、漆などが特に高い評価を受け、フランスの産業芸術界や専門家たちに刺激を与えたこの日本の芸術品が、フランス芸術界の発展を促していく流れを起こしたのです。





では、なぜ日本のこれらの芸術品がこれほどまでにフランス芸術界に影響を与えたのでしょうか。


当時ヨーロッパ内で一二を争う産業大国であったイギリスとの競い合いで、貿易に力入れていたフランスは、芸術性の高い製品とその製作者の育成に力を入れていました。

そんな中、行われた1867年のパリ万博ではフランスの展示物も高評価を受けますが、

その一方、創造性や調和に欠け、また古来のスタイルを維持しただけで、衰退の危機にある、という専門家からの見解がなされてしまったフランス。

フランス芸術の発展を掲げた中、注目されたのが日本の芸術品の持つ特徴だったのです。

その中でも特にフランスの芸術にはなくて、日本の芸術において優れているとされたのは

自然を取り入れるということ。


日本の芸術は、シンメトリーに捉われず自由で調和の取れた曲線やスタイルを持ち、色彩感、繊細な装飾といったものを自然の持つ要素から取り入れて美的な独創性を表現している、と提言されました。

私たち、日本人が古来より共に生きてきた自然への解釈、そしてその応用が評価されたのです。




伝統を大切にしながらも、独創性を常に見出すという日本芸術に見習って、

とりわけ自然要素との融合を念頭に、フランス芸術界に動きが起こります。

芸術誌や学会などでも積極的に日本の歴史や芸術が取り上げられるようになり、

ジャポニスムという言葉が使われ始めます。

そうした盛り上がりが見られる中行われた1878年のパリ万博では、

日本も第一回目の参加時の手応えと世の中の状況もあり、

積極的に文化、芸術品を広めることに努めました。

これを機に、日本文化がフランスの一般大衆にも広まりを見せ、

大人気となっていくのです。

商業化、消費社会の普及という社会背景にも押され、百貨店などでも、日本の工芸品をモチーフにした商品に人々は釘付けになりました。






| 印象派の背景と日本 |



そんなことで、万博以来日本の芸術に感化されたフランス芸術界。絵画のスタイルもこの時期に発展していきます。

それまでは、不動の物体や肖像画、また戦争や宗教といったテーマで描くことが主流でしたが、そうした古くさい伝統から離れて

今あるもの、瞬間の美しさを捉え目の前の感覚を描くことに焦点を当てようという画家たちが印象派と呼ばれ台頭してきました。


色遣い、コントラスト、繊細さetc.....

フランス印象派というと咄嗟に思い浮かぶのは、光や風などの動き、そこに描かれた自然美や風景。今にも動き出しそうな繊細さを持っています。


この印象派画家たち、1867年の万博の影響でフランスの人々の目に触れるようになった浮世絵の影響を大きく受けていて、浮世絵がなかったら印象派は生まれていなかったといっても過言ではありません。

その明るい色彩や、構図、人々の日常の様子を捉えたスタイルは、当時のヨーロッパ絵画から見たらとっても大胆な試み。その新しさに当時の若い画家たちは熱狂します。


そして、ゴッホやモネのように、数々の画家が浮世絵を収集し、それを模倣したり研究して切磋琢磨しました。


▼北斎の絵を模倣したフランス人画家の作品



そこから、フランス人画家が作り出した印象派のスタイルと日本の絵画の関係を少し紹介しましょう。




例えば、この絵をオルセー美術館で見た時、

今にも動き出しそうな、この空模様、風、それに吹かれる花々や人々の動、そして色彩感に目を見張りました。

風でなびくこの女性のスカートの細やかさ、今にも喋り出しそうな佇まい。。。



▼モネ  散歩・日傘をさす女

例えば、この絵をオルセー美術館で見た時、

今にも動き出しそうな、この空模様、風、それに吹かれる花々や人々の動、そして色彩感に目を見張りました。

風でなびくこの女性のスカートの細やかさ、今にも喋り出しそうな佇まい。。。


そして、このような印象派絵画を見ると、頭の中でフランス音楽の和声感や旋律とのつながりーーーー音になった自然美が思い浮かび、そのようなフランス印象派絵画と19世紀後半のフランス音楽の空気感にいつも惹かれていました。



▼歌川広重 東海道五十三次より

こちらは、歌川広重の東海道五十三次からの一枚。

広重の他の絵にも多く見られるのが、風や雨、または雪の動きですが、

ここに表現された草木のなびきや、風から身を守る人々の仕草…..そこに描かれた自然と人々の様子が、とっても生き生きしていてリアルです。



この2枚に似た要素があること、お分かりいただけましたか?




この動き出しそうな自然美というのは、

もともと、浮世絵からフランスの画家たちが学んだことでした。

そう、私の好きな印象派の自然とそこに共に生きる人々の姿は、浮世絵からフランスに伝わったもので、

浮世絵なしには、このような私の好きな印象派の側面は見れなかったのかもしれません。


アジアの遠い小さな島国、鎖国していて謎に包まれた日本という国、そして自分が生まれ育った国が、こんなにも素晴らしいパワーを秘めているという事実に改めて遭遇すると、不思議でなりません。





19世紀、フランスが評価した日本像、日本の美しさと言うのは

古き良きものを受け継ぎながら、そこに新たな可能性を融合させていくという、

伝統と創造性の共存です。

それが、独創性や個性を求めた当時のフランスの芸術家たちや時代とマッチして、

ジャポニスムという一世を風靡した現象を起こしました。







無意識に、当たり前に関わってきた日本の文化を深く知ろうとすること。

その美しさを意識的に感じてみようとすること。


それが、フランスでフランス芸術に関わっていく上で、私にとって一番自分らしさとフランス音楽の本質を表現できる近道なのかな、、と思います。





さて、次回はフランス音楽と日本のつながりについて… !



参考文献 : パリ万国博覧会とジャポニスムの誕生/寺本敬子 

岡村亜衣子 Aiko Okamura | Violinist

Violoniste Japonaise à Paris パリ在住ヴァイオリニスト 岡村亜衣子 オフィシャルサイト

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