サン=サーンスと日本の感性

なぜフランスに来たの?と聞かれることがよくあります。
ひとことで言うならば、音楽を通じて出会ったフランスの感性や美学に魅了されたからでしょう。

そんな今、こちらで音楽をする日々の中でいつも感じるのは、不思議と日本とフランスの芸術美学に通じ合う何か。
日本人として無意識に内面に培われてきたものが、フランスの芸術環境に共鳴する感覚を憶えます。



日本人の感性を話す上で欠かせないのが、私たちの生活や文化に古くから深く結びついている自然の存在。
日本に帰ると、日常生活のふとした瞬間にもその関係を意識せずにはいられません。

蝉やコオロギの鳴き声、空の表情、季節の食べ物、
霧や靄のかかった森林景色に、雨垂れの音。それに基づいた人々の会話。
日常をつかさどる自然の存在と共に、とても暖かい気持ちのエネルギーがあって…
交流や心遣い、言葉、そして感情の横にはいつも自然が共にいる。
そういうのが、なんとなく温かい気持ちにさせてくれる日本の良さなのかなぁ、なんて思ったりしていました。



そんな日本の特徴をいち早く察知し魅了されていたフランス人作曲がいます。
カミーユ・サン=サーンス


ドビュッシーなどの作曲家と比べると、彼の作品に影響を与えた日本との関係は、それほど知られていないかもしれません。
でも、その情熱は彼の音楽作品だけでなく、交友関係、残された書物やコレクションが
物語っています。
(サン=サーンスのコレクション。Opéra de Paris, Château de Dieppe にて)



日本とサンサーンスの繋がりに触れる前に、まず知っておきたいのが、
サン=サーンスといえば旅行好きな作曲家として有名なこと。

国民音楽協会を設立し、自国フランス音楽の発展に働きかけた傍ら、異国文化に興味を持ちました。
音楽の形式や、ラモーに続くフランス特有の機能和声にこだわりながらも、外国の音楽要素を取り入れ、
伝統と融合の作曲家と言えるような特徴の音楽を書いた作曲家です。




|サン=サーンスが旅で得たもの、そして日本への夢|


そんな旅好きな彼の旅履歴はというと、フランス国内、ヨーロッパはもちろんのこと、アメリカ、ブラジル、エジプト、アルジェリア…と、生涯27国もの国を訪れました。
特に北アフリカやスペインといったオリエンタリズムを味わえる国—アルジェリア19回、エジプトに16回、スペインに12回—と多く訪れています。
残念ながら、日本には足を運ぶことはありませんでしたが、もっと交通の便が良い時代であったなら、日本旅行のリピーターになっていたこと間違いなしですね。

彼は旅から得た異国文化のインスピレーションを作品にしていて、
アルジェリア組曲、アフリカ幻想曲、ピアノ協奏曲5番エジプト風、そしてハバネラなど、
多くの異国情緒あふれる音階やダンスリズム、旋律が使われた作品を残しています。

日本に旅行に来れていたら、日本旅からのインスピレーションを直接全面に出した作品が多く生まれていたかもしれないのに!と思うとサン=サーンスのファンの日本人としてはもどかしいです。。。


ダンスリズムや民族的な音階などは、音楽に取り入れた異国文化要素のわかりやすい例ですが、彼が影響を受けたものは、そこに留まりません。

彼が旅先で得るインスピレーション、それにまつわるもので、
サンサーンスの自伝に面白い言葉がありました。

 旅で惹かれる要素というのは、その土地の人々と自然のつながりを見ること。 
音楽の十字街に立つ


これを聞いて私が真っ先に思い浮かべるのは、
サン=サーンスのピアノコンチェルト第5番に登場する美しい旋律が、
ナイル川とそこに暮らす人々の心情を反映して作られたこと。


サン=サーンスが旅をする上で大切に見ていたのは、
自然と人間のつながりなのです。
となると、サン=サーンスが日本に魅了されていた理由がわかる気がします。
なぜ、彼がこの遠いアジアの島国の虜になっていたのか、そのキーワードとなるのが自然です。


Rimes Familiersというサン=サーンスによる詩集の中に、なんと二つほど、日本をテーマに書かれた詩があります。
その中から一遍、Le Japon (日本)という詩をご紹介します。

Le Japon 

Rêve de laque et d’or, le Japon merveilleux.
Planète inaccessible, énormément des yeux.
Brillait là-bas, Ce qu’il accomplissait naguère.
Aucun peuple n’a su ni ne saura le faire;
C’était surnaturel à force d’être exquis ;
Son génie éclatait dans le moindre croquis.
Il avait sa façon de comprendre les chose;
Les oiseaux, les poissons, l’arbre, les lotus roses,

La lune même, avaient des aspects inconnus
Dans son art fantastique et vrai pourtant. Corps nus,
Ou vêtus comme nul n'est vêtu sur la
Les Japonais vivaient gaîment et sans mystère Dans leurs maisons de bois aux cloisons de papier.
Nourris d'un peu de riz, exerçant un métier, Ils travaillaient sans hâte, en riant; leur envie
Se bornait simplement à jouir de la vie,
A cultiver des fleurs, à charmer leurs regards
Par tous ces bibelots qu'avaient créés leurs arts. Ils poétisaient tout; chez eux les hétaïres,
Adorables, étaient a marchandes de sourires ». De l'Extrême-Orient ils étaient l'Orient,
Et la Chine pour eux n'était que l'Occident.

………


    日本


黄金と漆の夢、素晴らしき日本
手の届かない地、目には大きく
輝いていた
その地がかつて成し遂げたこと、
それを出来た者も今後出来る者もいないだろう
超自然的で洗練されたもの
その才気は僅かなスケッチの中で光を放つ
独自の解釈を持っていて、
鳥、魚、木々、蓮…
月そのものにも、未知の価値を見出す
幻想的であり、そして真の、彼らの芸術の中で

〜〜〜




(一部のみ訳してご紹介します)

ここで、サンサーンスが日本という未知の不思議な国の一要素、として興味を持ち称賛しているのは、
日本人の独特な自然感についてです。

この詩の中に鳥、魚、木々、蓮…の言葉が記されており、
初めて目にした時は、日本人の私からするとその何が独特なのかいまいちピンと来ませんでした。





|日本の芸術と自然、フランス人を魅了したもの|



そこで見つけたのが、19世紀後半当時の絵画雑誌 « Le Japon artistique »の記事で、当時新しく一世を風靡していた日本芸術についての特集されていたものです。とても面白い文章に出会えました。

その時代、フランスの芸術界に影響を与えた日本の目新しい要素、と言うのは、
魚や昆虫といった小さな生物に、芸術的価値を見い出し取り入れていること。
そして、普段私たちが生活する上で、最も身近にある生物との関わり方。
その観点と芸術との関係が、まるでヨーロッパ芸術とは異なっているということが注目されていました。

というのも、以前のヨーロッパ絵画では、ライオンや鷹など動物は強さのシンボルとしてや、馬や犬というペットとしての登場はあったものの、
昆虫や魚は、芸術に取り入れる程のものとして見られておらず、それが衝撃だったようです。

そのような要素にサン=サーンスも着目し、この日本の詩の中に表現したのでした。


(Le Japon artistique の挿絵)


自然環境の険しい土地だからこそ、そこへの観察力が発達し、独自の感性となった日本人の自然との繋がり…

日本の土地事情のお陰で、ヨーロッパの人々とは違う観点で自然を解釈するようになったのです。
そして、日本人が昔から努めてきた自然との融合が芸術に生かされ、西欧の人はそれに魅了されました。

1889年に出版されたこの絵画雑誌の中に、当時のフランス人ライターは
もし顕微鏡でさらに細かい生物の世界まで見れたら、日本人をそれすらも芸術に反映させるだろう。 
とまで記しています。(笑)

このような、繊細な心遣い、人と自然との関わり方を評価された日本的芸術感性ですが、
サン=サーンスも、同様の感性を持っていたことが作品を通じて伺えます。

晩年のサン=サーンスのエッセイ « 音楽の十字街に立つ »  の中に動物の観察について書かれたものがあり、
家にいる蜘蛛のことを綴った文章なんかも見ることができます。
サン=サーンスは蜘蛛が怖かったらしく、
当時何故か蜘蛛は音楽が好きと言われていたそうで、ピアノを弾くと何匹か近寄ってくるのが不快でたまらなかったそう。(笑)
また、道端でフンにたかっていたアリを美食家と喩えたエピソードも書かれています。
不意に現れた生物の細かな要素を書物に残すあたり、サン=サーンスの人柄のユーモアと優しさが感じられます。

ピアノコンチェルト「エジプト風」の話に戻ると、この曲に出てくるコオロギの鳴き声を模倣したパッセージなんかも、
歌舞伎などといった日本の伝統芸術に用いられる虫の鳴き声や雨音の自然描写や効果音に共通しますね。


|自然に重ねる心情、サン=サーンスの音楽の中にあるもの|



サン=サーンスの作品 « Portrait et Souvenir »に興味深い一文を見つけました、
現代の人々は芸術家でなくなってしまった。

それを持ち合わせていたのは、古代ギリシャ人と、文明開花前の日本人だ。

芸術的な人というのは、芸術の対象について無知だ。何故なら、至るところに芸術はあるからだ。
サン=サーンスが、開国後に西欧化した日本を残念がっていたのは、いくつかの文書から読み取れるのですが、一体何をもって、文明開花前の日本人のイメージを持ち、評価していたのでしょうか。
昔の日本人の芸術、、、といって思いつくのは、先述した絵画や工芸作品の美学はもちろんなのですが、ここで重要なのが、万葉集です。

サン=サーンスは、“黄色い王女“という日本の浮世絵を題材にしたオペラを描いており、
そこに、なんと万葉集の一節が登場するのです。
このオペラとその歌の一節については、また後ほど詳しく書きたいと思います。

(オペラ黄色い王女のポスター、Château de Dieppeにて)






万葉集といえば、平安時代のあらゆる階級の人々、貴族から庶民までの心情を自然に乗せ、限られた文字数の形式の中
言葉を巧みに選びながら歌われた、
まさに!人々と自然の関わりを表した和歌、文学作品です。




そして、万葉集から垣間見れる、自然と共にある日本人の詩情についても、サン=サーンスは知り得ていたのです。

日本人の独特な感性という当時のフランス人が評価した点、
万葉集についての説明文章にもあり、どんな特徴に人々が注目していたのかわかります。

人々の心の中の奥底
ーそこに生きる人々の感性や願望、喜びー
に光を当てるだけで十分。

この詩人たちの情熱を取り巻くのは、四季で、
季節の移り変わりや草木や花の開花や散る様に心を打たれるだけでなく、

それらを最も繊細なニュアンスや人々の心に何かを呼び起こす感覚にまで表現できる。


Le Japon artistique 




(万葉集の中から一節)

感情と自然描写の比喩。
それがフランス芸術と日本に昔から受け継がれてきた感性との共通点になっているのではないかと思います。
音楽だけではなく、プルーストなどのフランス文学の中の表現においても。
それが私がフランス芸術に惹かれる理由です。




サン=サーンスと日本を繋ぐもの、それは自然と人の心なのです。
そのような視点から、サン=サーンスの音楽を奏でたり聴いてみたりすると、もっと親近感や愛着が湧いてきます。
そして、日本にも。 







岡村亜衣子 Aiko Okamura | Violinist

Violoniste Japonaise à Paris パリ在住ヴァイオリニスト 岡村亜衣子 オフィシャルサイト

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