ベルエポックの残響 〜プルーストの足跡を辿って〜
パリの通りを歩いていると、ふと時間が止まってまるでタイムスリップしたように感じる瞬間があります。
そんな中でも、私が一番惹かれる時代、ベル・エポックの名残は、今もパリの街の至る所に静かに散らばっています。
マルセル・プルーストが生きた、このベル・エポックは、
アートや音楽、文学、ファッションや建築など、様々な文化が交差しながら発展していった華やかな時代でした。
プルーストは、サロン文化を中心とした、芸術と社交の密接に結びついたパリの世界を、
自身の経験や日常をもとに『失われた時を求めて』の中に描きました。
彼が実際に過ごした場所を巡っていくと、当時の人々の感性や、芸術が暮らしの中にどのように存在していたのかという空気が、今の街並みにも少しずつ見えてくるような気がします。
また、彼のような上流階級や社交界の人々にだけでなく、
様々な形で多くの人々の日常に彩りを与えていたのだということが、
『失われた時を求めて』には、登場人物たちの記憶の断片や街での散歩、音楽との出会いを通して映し出されています。
プルーストの足跡をたどりながら、そんなパリの空気を感じ、
その時代の芸術や社交の風景を巡っていきたいと思います。
プルーストは、有名な医師の父、ユダヤ系のブルジョワ家庭出身の母のもとに生まれ、
幼いころから上流階級の社交界に触れる環境で育ちました。
サロンや夜会に出入りしながら、多くの文化人や貴族たちとの会話や振る舞いを観察していたと言われています。
そうした場所での経験は、『失われた時を求めての』の登場人物や空気を形作る大きな要素になっていて、身分や階級の微妙な関係性までも、時に皮肉を交えながら物語の中に描かれています。
そんな彼の通った場所、そして失われた時を求めてのモデルとなった場所は
今もパリにも残っていて、その頃の残響を感じることができます。
ブルジョワ階級の女性たちが芸術交流の場として開いていたサロン、
それとは雰囲気の異なる貴族たちの夜会。
オペラ座やシャンゼリゼ劇場など、今も残るコンサート会場。
芸術家や知識人が意見交換をしたり、上流階級のマダムたちが噂話に明け暮れたティーサロン。
そして、カフェコンセールと呼ばれる、より大衆的な音楽の場もありました。
プルーストが過ごした場所は、上流階級の人々との空間だけにとどまらず、
公園や演奏会、カフェなどを通じて様々な階層の人々が行き交う場所での
人間観察もしながら、洞察力や感性を深めていきました。
|パリに残るプルーストゆかりの地
パリに点在するプルーストゆかりの場所を地図に落としてみると、
足を運んだ生活範囲というのは、意外とコンパクトに収まっていることがわかります。
水色 = 住んだ家
青 =貴族やブルジョワの邸宅サロン
ピンク = レストランやカフェ
黄色 =コンサートやカフェコンセールの会場
黄緑 =その他。散歩した公園、母校、書店、職場、駅
というようになっています。
特に同じような種類の場所は、近い界隈に集まっています。
同じ通りを歩いていても、当時を今とでは見えているものが違いますが、
地図上では小さな範囲に見えるこの場所も、実際に歩いてみるといくつもの時間が重なっていることが感じられます。
そこには見えない何かが残っているような気がして、想像を膨らませながら立ち止まったり、もう少し歩いたりしたくなります。
この地図をもとに、今も名残のあるこれらのスポットを実際に巡ってみました。
ベル・エポックの芸術家の生活を通して、当時、人々にとってパリの芸術がどのようにあって、移り変わって行ったのかが少し覗き見れる気がします。
|プルーストの散歩道
プルーストの作品には、歩くことの感覚がたびたび現れます。
それは、彼にとって単なる移動ではなく、記憶や感情、風景との結びつきを静かに呼び起こす時間でした。
『失われた時を求めて』に登場する散歩道や公園は、実際にプルーストの住まいの近くで、
彼が日頃から親しんでした場所です。
その頃の雰囲気は、今でも変わらず残っているような気がして、ふらっとそこを歩くと
当時の人々の交流や気分転換の様子が味わえるかもしれません。
- Parc de Monceau (モンソー公園)
8区にあるモンソー公園。プルーストはこの界隈に住んでいた時期があり、幼い頃からこの公園に親しんでいたいたと言われます。
当時この界隈には、ブルジョワ階級層や新興富裕層の邸宅が立ち並び、ベルエポックの社会文化の空気が流れていました。
神殿風の建築や、装飾的な橋、門といった人工的に美しく整えられ、洗練された感性で演出された空間が特徴のこの公園。
ここでの、上流階級の人々の交流や服装、立ち振る舞いを散歩しながら観察していたのでしょう。
- Bois Boulogne (ブローニュの森)
ブローニュの森は、当時の社交界にとって特別な場所でした。
上流階級の人々は、馬車や乗馬でこの森を訪れ、散歩や乗馬を楽しみながら互いの姿を眺め合っていたと言われています。そこは、社交の舞台としての側面もありました。
誰が来ているのか、誰と一緒にいるのか、どんな装いをしているのか。といったことも、大切な要素でした。
幼い頃この近くに住んでおり、この場所に親しんでいたプルースト一家。
『失われた時を求めて』の中にも、ブローニュの森の印象的な風景や人々の交流が描かれています。作中では、森を歩く貴婦人たちや馬車の列を通して、時間の過ぎ去る様子が感情を交えて美しく描かれています。
- Avenue Champs Élysées (シャンゼリゼ通り)
シャンゼリゼ通りは、プルーストにとって幼少期の記憶と深く結びついた場所でした。
『失われたときを求めて』では、主人公がこの界隈を散歩しながらジルベルトへの恋心に揺れる場面が描かれています。今日は会えるかなという期待や不安という感情によって、ここの風景が特別なものに変わっていくシャンゼリゼ通りの姿が、作品の中に現れます。
ブローニュの森もそうですが、ここの散歩道に来るのは、上流階級の人々だけでなく、庶民たちのレジャーの場にもなっていました。
しかし、それぞれの過ごし方は同じ空間でも異なっており、見る側と見られる側というような公開された舞台のような世界が広がっていたそうです。そのもっとも象徴的な場所だったのが、ここシャンゼリゼの散歩道でした。
今では、この散歩道は Allée Marcel Proust と名付けられています。
|プルーストの暮らした家
プルーストは生涯にいくつかの住居や地区で暮らしていました。
彼が育ち、そして亡くなるまで住んだのはいずれも16区や8区で、
モンソー公園やシャンゼリゼ近辺です。
当時は、ブルジョワ層や新興富裕層、銀行家や財閥家などの邸宅が立ち並び、ベル・エポックの社会文化が色濃く漂っていた地域でした。
お庭やサロンを備えた邸宅(hotel particulier)、公園など、幼い頃からそうした場所に親しんで育ってきたプルースト。
『失われた時を求めて』に描かれる風景は、こうした日常から生まれています。
- 9 Boulevard Malesherbes (マルゼルブ通り9番地)
プルーストは2歳ごろから青年期まで、このアパルトマンで家族と共に過ごしました。
マドレーヌ寺院のすくそば、大きな邸宅が並ぶ一角です。
幼少期、思春期、青年期を過ごした家で、ここでの記憶が後の膨大な作品世界の地層となっいっています。
- 45 rue de Courcelles (クールセル通り45番地)
その後、一家はクールセル通りへ移ります。
モンソー公園にほど近く、新興富裕層の邸宅が並ぶエリア。
晩餐会やサロンの世界が、すぐそこに広がっていました。
いまも、大使館や財団が点在し、その空気はどこか続いています。
- 102 Boulevard Haussmann (オスマン通り102番地)
やがて、プルーストはオスマン通りのアパルトマンで、ひとり暮らしを始めます。
ここで、『失われた時を求めて』の執筆が進むことになります。
夜型だったプルースト。ここのアパートは、光や騒音を遮断するためにコルクばりにされ、分厚いカーテンに二重窓で完全防音にされていた部屋が有名です。
喘息の発作対策のためにも、このような措置がされていました。
このアパルトマンでのほぼ引きこもり生活と言える日々のおかげで、記憶を辿ってあの膨大な名作が生まれました。
また、晩年のプルーストが、ベートーヴェンの晩作の弦楽四重奏曲に没頭していて、
カペー弦楽四重奏などを深夜でも自宅に招いて演奏させたという逸話がありますが、
それがここのアパートだそうです。
現在は銀行になっていますが、記念プレートがあります。
- 44 Rue de l’Amiral Hamelin (アムラン通り44番地)
コルク張りのアパートが銀行に売られてしまったので引越しを余儀無くされたプルーストは凱旋門の近くへ。
このように通りからはエッフェル塔を望むこともできますが、体調が優れず弱っていた晩年のプルーストにとっては、必ずしも安らぎのある空間ではなかったといいます。
|社交とサロン
『失われた時を求めての物語』において、
社交界の様子や人間関係なしには作品が成立しないほど、そこに集う人々の会話や振る舞いが物語の中心にあります。
公妃、侯爵(夫人)、伯爵(夫人)、男爵(夫人)、貴族の称号はないブルジョワ層、称号を狙う人々、芸術家、政治家など、様々な階層の人々が交わることで、当時の社会の空気や、目に見えない緊張感のようなものが描かれています。
この物語には、ゲルマント侯爵夫人とヴェルデュラン夫人という、性質の異なる2つのサロン主人が登場します。
ひとつは貴族のサロンで、もうひとつはブルジョワや知識人のサロンです。
貴族のサロンは、主に格式や社交性が重視される場であり、権威や見栄の誇示が目的です。
時には、そこでコンサートや演劇が催されることもありました。
一方でブルジョワのサロンは、音楽、絵画、文学などの芸術交流が中心で、様々な知識人や芸術家が集っていました。より自由な会話や知的なやり取りが行われていたようです。
同じ『サロン』という言葉でも、そこに流れていた空気はかなり異なっていたのだと思います。
プルーストはどちらにも出入りしていた貴重な存在でした。
プルーストが実際に通っていたサロンとしては、
ストラウス夫人、ルメール夫人、カイヤヴェ夫人のサロンなどのブルジョワ系のサロンや
マチルド公妃、ポリニャック公妃(ウィナレット・シンガー)、ポトツカ伯爵夫人、グルフュル伯爵夫人などの貴族系サロンが知られています。
それぞれのサロンは性質が異なりながらも、当時芸術や文化の発展に深く関わっていた場所でした。
そして、プルーストがここでみた光景こそが、失われた時を求めてのモデルとなっています。
- Princesse Poliganc / Winnaretta Singer (ポリニャック公妃の邸宅)
音楽家の支援に尽力し、ラヴェルやストランヴィンスキーを招き演奏会を開いた事で知られています。彼女は、芸術界のパトロンとして有名で、ここは当時の音楽文化の中心地でした。
現在も財団として残り、音楽家への支援が続けられています。
- Comtesse de Potocka (ポトツカ伯爵夫人の邸宅)
ポーランド系貴族であるポトツカ伯爵夫人のサロンも、当時の文化交流を象徴する場所の一つでした。格式ある貴族の邸宅でありながら、社交だけでなく音楽や芸術への関心が自然に息づいていたようです。
主に、オペラ歌手やピアニスト、室内楽奏者が出入りしていたようです。
凱旋門の近くにある邸宅の前に立つと、その奥にあった当時の気配のようなものを想像してしまい、佇みたくなりました。
- Madame Caillavet (カイヤヴェット夫人のサロン)
こちらのCaillavet夫人の邸宅は知識人、文学者の集まりでした。
文学者、アナトール・フランスが出入りしていたことでも有名です。
モンソー公園のすぐ隣、そして通りからは凱旋門が見えます。
- Comtesse Greffulhe (グレフュル伯爵夫人のサロン)
グレフュル伯爵夫人は、当時の社交界の中心的人物でした。
貴族的格式と芸術文化が交差する空間で、
フォーレの音楽が演奏されたり、サン=サーンスが大物音楽家として招かれていました。
プルーストも、主に観察者的な立場でここに頻繁に足を運んでいました。
ここで、貴族社会の階級の空気や振る舞いを観察し、
『失われた時を求めて』のゲルマント公爵夫人像に結びつけていきます。
グレフュル伯爵夫人のサロンは、社交と芸術が融合した当時のパリ社交界の縮図でした。
広大な邸宅な跡地は、現在はいくつかの建物や施設に分割されていますが、
その通りに立つと、お屋敷の雰囲気を感じることができます。
- Rue montalivet (モンタリヴェ通り)
こちらは、物語中のヴェルデュラン夫人のサロンがあるとされている界隈。
今も昔、大使公邸になっているような館が並び、通りそのもにどこか閉じられたような車高の空気が残っているように感じます。
失われた時を求めてのサロン世界が全くの空想ではなく、現実の空間と今も重なっていることを、パリを歩いていると実感できます。
|プルーストの日常を彩る場所
華やかなサロンだけでなく、プルーストの日常を形作っていた場所にも、
作品の種が散りばめられています。
そして、それらの場所は、今でも誰かの日常に欠かせない場所として
存在しています。
- Librairie Fontaine Haussmann (フォンテーヌ書店 オスマン店)
サンラザール駅近くに今も残るこの書店は、
プルーストの住居の近くにあったことから彼の御用達でした。
プルーストが彼の執事にここで本を買ってくるようにいつも頼んだそうです。
プルーストをテーマにした書物が地下にたくさん売っていました。
- Gare Saint=Lazar (サン=ラザール駅)
作中で主人公がノルマンディーの避暑地バルベックへ向かう高揚を感じるサン=ラザール駅。モデルとなった街、カブールへ向かう旅の入り口でもあります。
プルーストにとって、旅は単なる移動ではなく感覚、視点の変化のきっかけとなる大切なものでした。そんな出発点となる駅に漂う独特の期待感をここで想像できます。
- Lycée Condorcet (リセ・コンドルセ)
プルーストの通ったリセ・コンドルセは、多くの文化人を輩出した名門校。
ここで出会った友人たちとの交流は、
彼の人生にも作品にも深く影響しました。
のちに作中人物のモデルにつながる人脈もここから広がっていきます。
|レストランとティーサロン
華やかな社交界やサロンとはまた違い、
レストランやティーサロンには、もっと日常に近い社交の時間が流れていたのでしょう。
プルーストが通った老舗のレストランやカフェは、今も残っているところもあり、
その空間に身をおいてコーヒーを飲みながら、当時の芸術家たちの交流を想像することができます。同じ場所に100年前彼らがいて同じように食事をしたり、一杯嗜んだりしていたと思うと、とても不思議な気持ちになるのです。
- Maxim’s (マキシム)
ベルエポックを象徴するレストランの一つで、
社交界や芸術家たちが集う場所として知られていました。
コンコルド広場とマドレーヌ寺院の真ん中あたりにあり、
建物はパリ万博に合わせてアール・ヌーヴォー様式に作られたそうです。
大富豪や実業家、諸外国の国王なども訪れるほどの人気と名声だったそうです。
プルーストもここで友人たちとの食事や社交の時間を過ごしていたと言われています。
- Ritz (リッツ・パリ)
プルーストが特に愛した場所の一つ。
リッツでは誰にも邪魔されないと語ったとも伝えられています。
晩年、具合が悪くなってきてからも、リッツでの夕食には出かけていたというプルースト。
リッツは単なる高級ホテルではなく、食事、人との待ち合わせ、観察と第二の家のような居場所だったそうです。なんて優雅なんでしょう。
- Café de la Paix (カフェ・デュ・ラ・ペ)
オペラ座すぐそばにあるベルエポックを代表するカフェ。
金色の装飾と大きな鏡に囲まれた店内は、今も当時の華やかさを感じさせます。
プルーストを初め、多くの作家や芸術家たちがここを訪れていたと言われています。
- Le Thé de la rue Royale (ロワイヤル通りのティーサロン)
現在のLadurée Rue Royale にあたるとされる場所。
『失われた時を求めて』ではロワイヤル通りのティーサロンとして登場し、裕福なマダムたちが集う場所として描かれています。
プルーストの実家のすぐ近くでもあり、社交と日常が自然に繋がっていた場所のひとつだったのでしょう。
|コンサート会場
ベル・エポックのパリでのオペラ座や劇場は、音楽そのものだけではなく貴族やブルジョワ、芸術家たちが集う、社交の場という立ち位置もありました。
また、少しずつ一般市民にもこのような演奏会の場が開かれていった時代でもあります。
プルーストも熱心な音楽愛好家として、当時の演奏会に足を運んでおり、作品の中に流れる音楽への繊細な感覚は、こうした日常の体験が深く関わっています。
- Opéra Garnier (オペラ ガルニエ)
19世紀後半のパリを象徴する華やかなオペラ座。
ここに一度足を踏み入れたら、当時の社交界にタイムスリップしたような感覚を味わえる特別な空間であることは、ここにきたことがある方なら誰でも共感できるでしょう。
プルーストもここにたびたび通っていたと言われており、
『失われた時を求めて』の中でも、ここでの観客たちの視線の動きや上流階級の人間関係が印象的に描かれています。
舞台の上だけでなく、客席やロビーにもドラマが散らばっていたのでしょう。
- Théâtre des Champs-Élysées (シャンゼリゼ劇場)
こちらの劇場は20世紀初頭に開館し、アール・デコへと向かう時代のよりモダンな雰囲気があります。
プルーストも、ここでドビュッシーやストラヴィンスキーなどの時代の変化を象徴する音楽に触れていました。
ストランヴィンスキーの春の祭典の初演が行われ、騒ぎが起きたのもここシャンゼリゼ劇場です。実際ストラヴィンスキーとも、公演後にカフェで話を交わしていたという記録も残っています。
『失われた時を求めて』の中の社交界の会話には、何度かバレエ・リュスが登場します。
ディアギレフ率いるこの革新的な舞踊団は、音楽、美術、舞踊を結びつけながら当時のパリに大きな衝撃を与えました。
そのバレエ・リュスが主に公演を行なっていたのが、シャトレ座とシャンゼリゼ劇場。
プルーストはどちらの劇場にも足を運んでおり、新しい時代の感覚を象徴するバレエ・リュスの芸術に身近に触れながら、『失われた時を求めて』の中で描かれる、変わりゆく美意識と時代の変化に活かしていったのかもしれません。
-Concert Colonne (コンサート・コロンヌ)
コンサート・コロンヌは、指揮者/ヴァイオリニストのエドゥアール・コロンヌによって創設された、オーケストラとコンサートシリーズを兼ねた活動でした。
マスネやサン=サーンス、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルといったフランス近代音楽の新しい作品が紹介される一方、ベートーヴェンやワーグナー、リヒャルト・シュトラウスといったドイツ音楽も頻繁に取り上げられ、パリの聴衆に届けられていきます。
また、チャイコフスキーやマーラーといった作曲家自身が指揮台に立つこともあり、この場所が当時の音楽の最前線と強く結びついていたことをうかがわせます。
演奏会はシャトレ座などの大劇場で行われ、より広い層の聴衆に開かれていました。
オペラ座のような社交の華やかさとは異なり、またサロンで人々の交流の中奏でられる音楽とも異なる、音楽そのものに集中して向き合う場でした。
プルーストがベートーヴェンやワーグナーを好んでいたことを思えば、彼の芸術観と共鳴するきっかけが、ここの演奏会から生まれていたのかもしれません。
- Salle Érard (サル・エラール)
ここのホールは、ピアノやハープの製造で有名なエラール社の音楽ホールであり、
フランス音楽の発展を掲げてサン=サーンスなどによって創設された国民音楽協会の公演地として頻繁に使われていました。
室内楽やリサイタルなどのレパートリー中心のホールで、
ショパンやリスト、イザイがここで演奏しました。
作中に登場するヴァイオリニストのモデルになったと言われるベルエポックのスター、ジャック・ティヴォーや、プルーストが晩年ベートーヴェンのカルテットを自宅に招いて演奏を頼んだ、カペー弦楽四重奏もこちらでコンサートをしていたようです。
プルーストはここでの当時の名演奏家たちのコンサートに足を運び、『失われた時を求めて』に登場する楽曲たちへのアイデアや感性を磨いていったのでしょう。
|カフェコンセール
プルーストは、クラシック音楽だけでなく、カフェ・コンセールと呼ばれる大衆的な音楽の場にも足を運んでいました。
そこでは、シャンソンやオペレッタ、ピアノの独奏などが気軽に演奏され、昼はカフェ、夜はコンサートという形で、人々が音楽を楽しんでいたようです。
ベル・エポックのパリでは、モンマルトルやオペラ界隈にこうした場所が多く生まれ、
音楽がより多くの市民たちの日常の中に開かれていった時代でもありました。
今もその名残として、当時の文化を受け継ぐ劇場や空間が残っています。
- Le Divan Japonais(ディヴァン・ジャポネ)
モンマルトルの麓のあるこのカフェコンセールは、『日本風の長椅子/日本趣味のサロン』という名を持つお店です。
19世紀末からパリで流行していた、ジャポニスムの影響が色濃く映された場所で、
店内には日本風の装飾や屏風、竹細工などが取り入れられていたそうです。
日本の浮世絵や装飾、美意識に影響を受けていた当時のヨーロッパの芸術家たちですが、
彼らの思い描いていた東洋への憧れが空間に再現され、音楽と共に異国情緒に浸れる場所だったのでしょう。
トゥールーズ・ロートレックがポスターを手がけていたそうで、
そのポスターに惹かれてプルーストは足を運んだとか。
こちらは、100年前の写真との比較。建物の名残が今も残っています。
- Eldorado(エルドラド)
当時の大衆娯楽街だったストラスブール=サン=ドニ界隈にあった有名なカフェコンセール、Eldorado。ベル・エポックのパリで人気を集めた、大衆娯楽の中心地でした。
ここでは、当時のシャンソン界のスター、イヴェット・ジルベールが歌っていて、
彼女の歌唱力に惹かれたプルーストも訪れていたようです。
語るように歌う独特なスタイルで人気を集め、当時のパリを象徴する存在だったイヴェット・ジルベール。彼女は、『失われた時を求めて』の中でも言及されていて、
時代や人間を映す存在としてプルーストがかなり関心を持っていたのが伺えます。
今はTheatre Libreという劇場になっているのですが、
実は私が定期的にとある公演で弾いている場所なんです…!
プルーストのゆかりの地リストにある住所をグーグルマップに入力した際、見覚えのある場所だったので初めて気づき、数年間知らずに通っていました。
カフェ・コンセールとして使われた後には、映画館になったり、名前が変わったりと形を変えながらも、同じ場所に大衆娯楽の場として残り続けています。
そんな歴史と空気を味わいながら、舞台に立てること、そして楽屋や舞台裏に残された時代の痕跡を見つけるのがそれ以来楽しみになりました。
|終わりに
プルーストの足跡を巡っていると、ベルエポックの芸術は人々の暮らしや社交、日常の至る所の空気に自然と溶け込んでいたのだと感じます。
文学、絵画、音楽が互いに影響しながら、一つの文化として育っていった時代。
その空気は、貴族やブルジョワのサロンだけではなく、カフェや劇場、カフェ・コンセールのような大衆的な音楽の場にも広がっていました。
芸術は特別なところにだけ存在していたのではなく、人々の会話や散歩、食事などの日常の時間にも息づいていたのかもしれません。
パリの街は、何年住んでいても視点を変えて見てみると、無限にそのような感性が広がっているように思います。
私がフランス惹かれて来て、パリで音楽を続けている理由もそこにあります。
ただ作品を演奏するだけでなく、
その音楽が生まれた空気や、人々の感性、芸術が日常の中に存在していた感覚に触れながら
音を深めていけること。
人々の日常の中に自然に音楽があり、そこから多くの作品が生まれていったことを
この街は今も五感を持って教えてくれます。
プルーストの感性やその作品に広がる芸術観というのは、
音楽や芸術と人々のつながりの本質を見つめようとするもので、それが洗練された膨大な数の言葉で表現されています。
その言葉たちには、私が何のためにヴァイオリンを弾くのかと考える上で、何か導いてくれる力があるように思います。
『失われた時を求めての』の中に出てくるサロンで演奏される音楽は、
そこに居合わせて耳にした人々たちの記憶や感情の深い部分に静かに触れていきます。
日常の中でふと自然に耳にする音だからこそ、より深く心に居座ってしまう…
ベル・エポックの時代、音楽は劇場や格式高いコンサートホールで聴くような特別な鑑賞体験だけではなく、人々の社交や日常の時間とも近く結びついていました。
今の時代において、クラシック音楽が人々の日常に寄り添うものとして、
この先もずっと継承されるよう、何か貢献できることはないのかなと考える日々です。
そのような想いを大切に、音楽を届けていきたいと感じさせてくれるきっかけになったのが、プルーストの世界でもあります。
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