シャコンヌによせて〜vol.2 演奏解釈、聴き比べ-100年の流れ-
シャコンヌに寄せての想いをテーマに乗せて、4回にわたっておくるシリーズ、第二弾。
今回はバッハの無伴奏作品と演奏家との関係が
歴史の中でどのように移り変わってきたかを紐解いていこうという主旨のもと、
異なる時代、スタイルをもつヴァイオリニストのシャコンヌの演奏を聴き比べていきたいと思います。
彼らの人物像と背景を演奏解釈と照らし合わせながら、それぞれのバッハ像やシャコンヌの世界観を探っていきます。
今この時代に生きるわたしが
私が選んだ6人のヴァイオリニスト。
ジョルジュ・エネスク (1881-1955)
ヨゼフ・シゲティ (1892-1973)
ヘンリク・シェリング (1918-1988)
アイザック・スターン (1920-2001)
ギドン・クレーメル (1947-)
イザベル・ファウスト (1972-)
今回の記事では、1948年〜1967年の間、同時期に録音されたエネスク、シゲティ、シェリング、スターンの演奏を取り上げていきます。
|ジョルジュ•エネスク|
エネスクはルーマニア人のヴァイオリニスト、作曲家で幼少期から天才として喝采を浴び活躍してきました。パリ音楽院で学び、パリで暮らし、あのメニューインの先生でもあります。
エネスクのヴァイオリンの演奏について、また人物像について、彼の親しい人物や共演者たちからの証言の一部を紹介。
・彼の演奏は上辺的なな要素からの効果を求めてはいない。弓の大きなジェスチャーなどから聴衆の喝采を得ようとうるのではなく、ただ自然に、心で音楽を奏でる。
・こんなにヴァイオリンという楽器からいろいろな音を引き出せる人をみたことがない。
・ヴァイオリンは彼の体の一部であり、そこからどんな表情の音もニュアンスも表現することができる。
・彼はとてもハンサムで、その外見的なあり方が、音楽に共通している。
・これほど洞察力に長け、寛大な人に今まで会ったことがない。
(↓エネスク自身の演奏による、エネスクのヴァイオリンソナタ第3番。
民族情緒に溢れたメロディーと独特な美音でノスタルジックな気分になります。)
特にバッハの作品の演奏は、
エネスクの演奏家人生にとって集大成といえるものであり、
バッハ演奏に対して気高いミッションと責任を感じていたそうです。
歴史的で宗教的で厳粛すぎて普通に聴くには少し遠い存在、と思われていたバッハ作品の印象を、
エネスクによる深い人間性を織り交ぜた演奏で覆し、
より多くの聴衆にとってバッハが身近な音楽になるような一歩をエネスクによる演奏が人々に与えたのでした。
そんな温かみのあるエネスクのシャコンヌを聴いてみましょう。
|ハーモニーの色彩でバッハのテキストを魅せる、格調高く哀愁のあるバッハ|
このシャコンヌは晩年のレコーディングでヴァイオリニスト引退直前、の時期の演奏です。
音程や技術の衰えは少し感じられますが、
不思議な魅力があり、聴いてるうちにどんどんその中に引き込まれてしまうような。
格調高く気品あるバッハの演奏で有名なエネスクですが、
そのような雰囲気の中にも色彩の変化によってつけれれたコントラストがあります。
一定のテンポを保ち、大きなルバートやグリッサンドの多様などはせず、
モチーフや和声進行などバッハの書法から汲み取った表情付けで自然なフレーズの運びかたをしているような印象。
ビブラートは、濃く歌うためのロマン派的な使い方ではなく、
音色を変化させたい音のための、表情付けに使用し、
ボーイングも、長い音価の音を弓の吸い付けや弓圧を加えて音を保とうとするのではなく、
自然な鳴りにそっている。
どちらかというとバロック的な、
バッハのスタイルを尊重した奏法です。
技巧的に魅せる弾き方ではなく、音質とアーティキュレーションに一貫性があり、テーマと通奏低音の運び方にフォーカスが置かれています。
音色の変化が多様で表情が豊かなのに、
聴き手に自分を魅せるための演奏効果を狙ったり、自由になりすぎない。
バッハと楽譜を研究し尽くして、そこへの尊敬が常に根底にありながら彼自身のカラーが入っている、上記に述べた彼の人物像と照らし合わせてみると納得な人間性の高い演奏です。
魂全てを音楽に注ぎ、ルーマニアの民族情緒のある独特なエネスクの音、そんな彼のシャコンヌからみるバッハ像は、
バッハをただ歴史的な作曲家として捉えるだけでなく、作曲家としてのエネスクの視点、ルーマニアへの思い、戦争で過ごした難しい状況、そしてヴァイオリニストとしての使命、、、様々な思いの交わりを感じさせる深い解釈だと思います。
|ヨゼフ•シゲティ|
シゲティはハンガリーのヴァイオリニストで、
音楽への向き合い方と真っ直ぐな姿勢が伝わるような彼の音には独特な魅力があります。
彼の演奏スタイルはハイフェッツやクライスラーのよあな華やかで甘い音と超絶技巧を魅せる、といった風ではなく、
軽やかな美音にはこだわらず、
その先の深いところにたどり着こうとする
楽譜と我との対話、のような解釈が印象的です。
時に、音が汚い とか
シゲティは一風変わったスタイルの持ち主で、
彼が重要視している点がほかの当時活躍していたスターヴァイオリニストとは異なるからなのでしょう。。
私が見つけた1936年のフランスでのコンサートのバッハの無伴奏作品に関するレビューには、
"緊迫しすぎた真実の追求"
”弓の剣闘による音色とその努力のわりに、聴き手にはそれとバッハの崇高な名には不釣り合いな印象”
とあり、
このコンサートのシゲティのバッハを聴いた結論として
”バッハの無伴奏作品は全ての音楽が聴かれるために書かれたわけではなく、それが読むものであったならばよかっただろう" と書かれています。
要は、難易度が高く弾き手がすごく健闘していて称賛するけれど、聴いてる側にはそれに相応する効果があまりこない楽曲だということです。
シゲティの音楽作品全般に対する向き合い方が、
聴きやすく綺麗な音で聴衆に届ける....といったものではなく、
常に楽譜と作品と作曲家に真っ当から学術的に向き合うことに重きを置いていたため、
時にはそれが気難しく遠いもののように感じさせることもあるのでしょうね。
晩年は執筆活動に力を入れいくつかの本を残していて、
例えば、
ヴァイオリン練習ノート―練習と演奏のための解説付200の引用譜
という200の曲からの引用を、様式的な面、テクニック面、音楽面とあらゆる方向から問題点を解説いていく本があり、こんな本を残すなんてその思い入れがすごい!
あらゆる方向から曲に向き合う彼の姿勢が見れそうです。いつか読んでみたい.....!
ただ楽器の練習をすることだけでなく、
その背景となるものや楽譜という存在を理論的に勉強することも重要視したシゲティ。
そんな彼のシャコンヌはものすごいインパクト、、、、!です。
初っ端の和音からとってもインテンシブ!!!
全体を通して和音の弾き方が3音の場合は同時なので、密の詰まった音で
それがこのシャコンヌ全体のにダイレクトでエネルギッシュな印象を出しています。
このような和音の弾き方を徹底して曲全体に用いていて、
だんだん耳が疲れてしまうかも。。。しれませんが、そのまっすぐなこだわりこそシゲティの音楽なのでしょう。
シゲティの場合、その時その時の場面の特徴を前面にだすような、
多様性を重視した構成で、
たとえば時には荒々しいくらいのマルカートやスタッカートで攻めてきたかと思えば、
グリッサンドを多用してロマン派風に歌い上げ、ロマンティックピースの旋律のように捉えているところも。
指遣いはハイポジションを駆使して濃いG線の音を聴かせています。
バロック奏法ではビブラートをせずに、出来るだけファーストポジションや開放弦を使い、楽器の本来のシンプルな響きを尊重しますが、
シゲティは指遣いやグリッサンドと、音を飾る効果をビルティオーゾピースを弾くように多用しているところもあります。
楽譜から受け取ったヴァリエーションやパッセージのもつキャラクター、印象に沿って音楽を作る。
技巧を見せるような弾き方、また音に凝縮したパッションが入りすぎてつぶれそうになっているところも。
でも、そんな音からもシゲティのバッハへの向き合い方が表れていて胸を打ちます...
一つ一つの音に意志があるというような。
確かに聴きやすくはないんだけど。。。
全体像の均一な流れを意識したというよりは、
その瞬間、にまっすぐ向き合ったような、魂をさらけだしているかのような演奏、と私は感じました 。
上辺の華やかさではなく、内容と真実を追求していくことを生涯貫いたシゲティ。
そんな彼のバッハを聴いたイザイが、その演奏に感銘を受けて
6つの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタを書きました。
たとえ万人受けしなくても、信念を貫き続けることで、
強烈な印象を誰かに残し、それが後世に残る大作のきっかけになる というすてきな連鎖。
イザイのソナタが大好きな私としては、シゲティありがとう!という気持ちです。♡笑
|ヘンリク•シェリング|
ユダヤ系ポーランド人で第二次大戦中は外交を担うためメキシコに渡ったシェリングは、ポーランド難民を受け入れたメキシコで慰問演奏を行い、戦後はメキシコを本拠地として活動をしました。
シェリングの演奏の特徴は特に音の豊かさ、全体を通しての音質の完璧な均一さだと思います。
当時の、とあるニューヨークの紙面のコンサートレビューに、
『弓の王子』
と書かれているのを発見。
あれほどまでの豊かな音色を生み出す、卓越したボーイングの技術がいつもシェリングの演奏の中でも最も評価されているポイントです。
シェリングは、SCHOTT社から出ている6つの無伴奏作品の校訂をしていて、
彼の意図に沿った弓使い、指遣い、強弱などを見ることができます。
確かにこのシェリングの楽譜に沿って弾くと、
音のフレーズの統一や大きなつながりに焦点を当てているのがよくわかります。
dolceも、バッハではなくシェリングによる書き加え)
この楽譜を校訂するにあたって冒頭に記されたシェリングの言葉には、
このバッハのスタイルと現代のヴァイオリンの楽器の響きとテクニックをどちらも活かせるように工夫したとありますが、
その通り、彼の演奏もモダン楽器のヴァイオリンをいかに鳴らし、どのようにバッハの書いたテキストを音にするかを第一に考えたようなシャコンヌです。
豊かな音色、響きを全体に駆使してまとめあげているような。
フレーズは長く、一つのものが先までずっと続いていくような動線があります。
エネスコやシゲティが持っていたような
特に印象的なのは、
静寂なイメージや無垢な音を求め、それまでの表情とのコントラストを出そうとするのに対し、
シェリングはその前のパッセージと同じように、音質の濃いつまった音で歌い上げ、
ビブラートや弓の圧を利用して音の密度を保つフレージングは、
初めから終わりを見据え、
全てを一つのものにまとめあげる、寛大さと格調高さに満ちた演奏。
15分の中で、様々なキャラクターをもつパッセージが変わり代わり出てくるにも関わらず
ここまで統一性を持たせられる音って本当にすごい。。。
そういえば、私が日本で習っていた先生も、フランスで習っている先生もシェリングと勉強したことがある方々です。
いつかシェリングについてきちんとお話を伺ってみたいです。
|アイザック・スターン|
アイザック・スターンはアメリカで活躍したユダヤ系ヴァイオリニスト。
一番名前の聞き馴染みがあるかもしれませんね。
小さい頃にみたアメリカの映画、「Music of Heart」に出演していたり、
また高校の頃から何度も参加した宮崎音楽祭のアカデミーは、スターンにゆかりがありスターンがきていた頃の写真やお話に触れられたり、アイザックスターンホールという名前のよく響く大きなホールがあったり、となんだか名前をみ身近に感じる巨匠の一人です。
ここでスターンを取り上げたかったのは、上記の3人は特にバッハ演奏に関して有名で、
"6つの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ"全曲を録音に残しそれらは名盤として受け継がれてきていますが、
スターンのような、シャコンヌをヴィルティオーゾピースとして単体でとりあげる奏者の演奏もみてみたかったからです。
当時は、全曲演奏されるのは稀で、このように単体でいくつかの楽章が取り上げられる機会の方が多かったこの無伴奏ソナタとパルティータ。
スターンにはあまりバッハのイメージがなかったので、どんなシャコンヌの捉え方をするのか、どんな解釈をするのかに興味が沸きました。
上記3人は、私の中では昔の巨匠というイメージなのに、(生まれた時にはもう随分前に亡くなっていたので。)
スターンのこの録音もほぼ同時期というのがどこか不思議な感じがします。
スターンのシャコンヌは全体的にメロディーラインを基盤に演奏しているような印象があります。いわゆる、楽譜を分析して、”このバスがこう動く”、とか”音型の組み合わせがこうだからこういうフレーズで”、といった要素ではなく、
低音部は太い音で力強く、高音はのびのびとした音で、
高音は音色を変えてきらびやかに、、、といったような
技巧的なコンチェルトを弾いているかのような音の表情を作っているような印象を受けます。
超絶技巧を魅せるような、前面にアイザックスターンというヴァイオリニストそのものをだした演奏。
曲の盛り上がりで聴き手を引き込み、ドラマティックな世界観を感じます。
それぞれがバッハとどう向き合い、自分自身の演奏をそこにどのように乗せたかがわかるような気がしませんか?
4人とも、解釈の仕方も向き合い方も異なる
それぞれの世界観があり、
シャコンヌの15分間に映る巨匠たちの姿が、
背景、人生、価値観を表しているようで面白いですね。
次回は、クレーメルとファウスト。今の時代に活躍するヴァイオリニストの解釈について、シャコンヌという形式やバロック演奏についても触れながら探って行きたいと思います。
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