シャコンヌによせて vol.2-2 〜演奏解釈、聴き比べ 100年の流れ〜
シャコンヌによせてシリーズ、
今回は第二弾の演奏解釈比較の後半をお送りします。
エネスコ、シゲティ、シェリング、スターン、という20世紀の巨匠たちの演奏について触れながらそれぞれのバッハ像について探った前回の記事に続き、後半のこの記事ではクレーメル、ファウストという現代において活躍するヴァイオリニストの演奏を通して、バロック奏法やその研究の影響がみられるようになった演奏解釈の変化と流れについてをみていきたいと思います。
ここで、そもそもシャコンヌって何?というところに少し触れたいのですが、
バッハの無伴奏パルティータは舞曲によって構成されていて、
シャコンヌというのも、元々はスペインが起源でイタリアで流行したダンスの形式の名前です。
2拍目に重みの来る三拍子の遅い舞曲で、
通奏低音をテーマに4小節もしくは8小節をひとフレーズに展開していくヴァリエーションの形式を取ります。
このバッハのシャコンヌ、15分の荘厳なイメージをもつ大曲が
ダンス?!という驚きを受けるかもしれません。
というのも、バッハのシャコンヌの雰囲気は
他のシャコンヌとはかなりかけ離れているような印象を受けるからです。
この形式を用いた他のシャコンヌという曲を少しみてみましょう。
例えば、リュリのオペラの中のシャコンヌ、比べてみてください。
調性の違いや視覚的な影響もあるかもしれませんが、
そうは言っても例えば舞曲といえば、ワルツと聞くと曲によって差はあるにせよ、大抵根本には同じ踊りのリズムを感じるのに対して
このシャコンヌってだいぶ違いますよね。。。
踊りの曲ではないにせよ、この舞曲要素とヴァリエーション形式のスタイルを尊重した表現をするには、、?そしてバッハのイメージしていた響きとは?
そのような研究が反映された演奏が盛んになってきたのが、1980年あたりから。
古楽復興運動によるピリオド楽器やその時代の音、奏法にフォーカスを当てたスタイルの追求が高まってきた頃です。
今回の記事で触れていく
ギドン・クレーメル
イザベル・ファウスト
の解釈は、前回取り上げた20世紀に活躍したヴァイオリニストたちとの解釈よりも、更に
バロック演奏やバッハの楽譜の分析、時代のスタイルへのアプローチやその影響が多く見られます。
|ギドン・クレーメル|
ラトビア出身、ドイツ国籍をもち世界的に活躍するヴァイオリニスト。
モスクワでオイストラフに師事し、ソ連の音楽教育を受け居住した後、
更なる演奏活動の自由を求めてドイツに移住したクレーメルですが、
ソ連の制限の厳しい当時の状況や環境を経験しそこから脱したからこそ、
彼の特色である誰にもない個性とオリジナリティに溢れた音楽への作り方がここまで発展してきたのでしょう。
古典から現代曲まで、幅広いレパートリーを持ちながら、
ジャンルごとに型にはめず、また既存のスタイルに沿って演奏をするのではなく、
どこまでも可能性を追求し、自分自身の解釈をそれぞれの作品と追い求めていくようなクレーメルのスタイルはとても興味深く新鮮です。
近年の彼のインタビューにある言葉で特に印象に残ったフレーズを紹介します。
「良い音楽というのは、その中にメッセージがあるもので、
良い演奏家というのはそれを伝える人です。
それは未知への旅となるファンタジーへの招待であり、
自分自身の中にある世界を広げ開拓することなのです。」
「楽譜は、分かったふりをして適当に演奏する道具ではなく、
行間からそのメッセージを読み解くという創造的活動の根源をなすもの。
楽譜に隠れた、秘密のサインを読み解くことで・・・・」
独自性を追求し続け、最も個性が浮き立っているヴァイオリニストのうちの一人と言えるクレーメルですが、決してその個性を見せつけようと、人と違うことをしようとしているのではなく、その根源は音楽や楽譜への真摯な向き合い方に尽きるのですね。
結果そのプロセスが音になり、独自性のある彼のアーティスティックな面を引き出している。真の芸術家のあるべき姿なようなものを感じます。
そんな彼の独特ながら逸品と評されるバッハ像ですが、
インタビュー 中のこの言葉、
「何千年も前のエジプトのピラミッドに比べれば瞭然です。
音楽は数百年の歴史しかありません。
私にとって古い音楽も新しい音楽も同じなのです。」
にあるように、
バロックの要素もあり、
ソビエトのヴァイオリニストを彷彿とさせるような音もあり、
何派?とはカテゴリーしにくいスタイルで独特の世界観を作り上げています。
それでは詳しくクレーメルのシャコンヌ解釈をみていきましょう。
|鋭く際立った音の粒と個性的でも一貫性のある独自のバッハの世界|
まず、一番印象的だったのが音のアーティキュレーションの一貫性。
最初から最後まで鋭いエッジの効いたクリアなアーティキュレーションがどんな音価に関わらず徹底されています。
しかし、一箇所だけ、中間部のD-durに転調した後のワンフレーズだけ前後の音と音が繋がるような歌い方をしているので、そこの叙情性が際立っています。
このような要素は、前回の記事で取り上げたシェリングやスターンと言った音の繋がりや豊さを重視したヴァイオリニストとは全く異なる音の作り方です。
ビブラートをなるべく控え、楽器と部屋の自然の響きを生かしながら、弓のスピードやジェスとで音のアタックやフレーズの流れを作っているところが、
バロック奏法の影響を感じさせます。
でも、かと言ってバロックのような印象を受けるかと言ったらそうではなく、
あくまでもクレーメルの意図にそったバッハの音型を表現するための選択肢。
何の影響か、何をベースにしているかなどと特定しがたいのが彼の演奏です。
ベースなどなく一つ一つのアイデアが彼自身の無限のソースから来ているものだからでしょう。
ですが、このようにバロックの影響を感じるのはやはり時代の変化や流れが関わっています。
クレーメルのシャコンヌは、技巧的で各テーマのキャラクターの違いを前面に出しドラマティックで自由さがありますが、このアーティキュレーションによって全てが一貫されていて表情付けが自由にされているにもかかわらず、流れがスムーズなのが素晴らしいなと思います。
テンポを揺らしたり、音の濃さやアタックでかなり攻めている箇所があっても、それにショックは受けない。
それは、彼がバッハの世界観を尊重しながら、楽譜を独自の視点で読み込み独自性や自由さを出し一つのストーリーに融合したような、そんな印象を受けました。
そして、このエスプリってまるでプロコフィエフやストラヴィンスキーの音楽を連想させて、新古典主義のようだなぁとふと思ったり。やっぱりソ連の風が流れているのですね。
|イザベル・ファウスト|
現代活躍するヴァイオリニストの中でも、その洗練された音楽性とテクニックに知的な音楽的アプローチが際立ったファウスト。
真摯な音楽の追求と作曲家への敬意がここまで音楽に表れたヴァイオリニストは稀と言えるほど、ファウストの隅から隅まで行き届いた音への配慮は素晴らしいです。
France Musiqueのとあるインタビューではこう答えています。
ーどのように楽譜との関係を築いていますか?
「よく他のひとと違うように楽譜を取り上げる、と言われますが
決してそれが私の目標ではなく、
いかに作曲家にいかに近づけるか、親しくなれるかを第一に考えています。
まずはリソースを探してその時代のスタイルや、またその時代このテキストがそのように解釈されていたか、などを勉強します。
そのような世界に入り込んで、広げて自分の演奏法に疑問を持ちながら熟考していくことを心掛けています。」
とりわけバッハなどの作品を演奏するときは、不協和音と協和音の響かせ方や拍感を意識し、またモダン楽器に安定の悪いガット弦は使用せず、代わりにバロック弓を使うことでバッハの響きを表現するというファウスト。
バロックとモダンを融合させ現代のスタイルにバッハの時代の響きを取り入れたまさにこの100年の流れの集大成と言えるような解釈を持ったアーティストだと私は思います。
(シャコンヌ 17:05 。ライプツィヒの聖トーマス教会。バッハが音楽監督をつとめたゆかりの地で現在バッハが埋葬されている)
|バッハのメッセージを音に。審美的な構成とハーモニーの響き。
バロックとモダンの融合|
そんなファウストのシャコンヌ、
このビデオではモダン楽器をバロックピッチに調弦し、バロック弓を用いています。
バロック弓は、現代の弓よりも少し上の部分を軽く持ち、そして音を吸い付けるというよりは弓と弦の摩擦のコンタクトを利用して発音しますが、
ファウストのこの弾き方も、弓の圧力やスピード、弓量で音を作るのではなく、
弓と弦のコンタクトポイントを意識し、駒寄りで弓の量もコントロールしながらコンパクトで軽いジェストを利用した奏法をとっています。
この彼女の演奏で印象的なのは、リズム感と拍の強弱、そしてハーモニーのテンションによる音色と表情です。
例えば、このシャコンヌという2拍目に重みが来る3拍子の踊りの形式、
これが冒頭に載せたような踊るための舞曲ではなくても、その要素を拍感で表現していて拍の強弱が生き生きしています。
また付点音符の弾き方が短く後寄せになっていることからも舞曲のリズム要素が尊重されているのがわかります。
しかし、このようなリズムやダンス要素の形式が前面に出て軽快になりすぎるのではなく、曲のキャラクターを生かしながらバロック要素をいかにモダン楽器で表現するかという、曲の本質を捉えるかということに対してファウストはとても秀でています。
またハーモニー、和声進行の面で特徴的なのは和音の弾き方とバスの流れ。
今まで取り上げたヴァイオリニストは3和音を同時に鳴らして和音の重厚感と音の密を前面に出している人が多かったのですが、
一方ファウストは、バスを先に鳴らして、和音を構成する3つの音(もしくは4つ)を分けて弾き、毎回バスが和音進行を導くガイドのような役割をしてフレーズを作っています。
そして、このバスによるガイドは和音に限らず単旋律でも同じで、
各ヴァリエーションのテーマとなる通奏低音を
十六分音符などの細い音価で構成された単旋律の中にも強調しフレーズを作ることで、ヴァリエーションごとのキャラクターの特徴を出していても曲全体の構成感が美しく整えられたような印象になっています。
そして、単旋律であってもいつもポリフォニー的な捉え方をしているからでしょう。
シンプルで純粋、洗練された構成感、そのために熟考された細いニュアンス、ハーモニーと音色。
森と木を同時に見ている解釈というのか、フレーズが長く全体の構成感がとても洗練された流れで作られていて、それを作る一つ一つの要素の粒が整っている。
それは、まるでドイツ人としてバッハを受け継いでいくことへの使命を感じる、彼女の演奏家としての姿勢が表れているようです。
個性を出そうとするよりも、社会、歴史、現代を見据えながら自身の道を進む。
今の時代の演奏家に求められる姿勢はこのようなものなのではないかと、深く考えさせられます。
webインタビュー記事にてのファウストの無伴奏作品に対する興味深い見解を見つけました
ー「無伴奏ソナタとパルティータ」は、おそらく奏者の人格そのものを反映しますね。生涯を共に生きてゆかなくてはならないので、一種の鏡のような存在だと思います。それぞれの音楽的な個性の成長に伴って、この作品への理解は深化し、信じられないほどの広がりを見せるようになります。もちろん、「無伴奏ソナタとパルティータ」は、ヴァイオリニストにとって、常に核に据えるべき作品です。〜(中略)〜
バッハの天賦の才能は、まさに、音楽を学ぶことの中軸にある、と私は思います。私たちヴァイオリニストは、彼の作品に集中して取り組み、その本質へと少しずつでも近づいてゆくしかないのです。」
(いずみホール音楽情報誌「Jupiter」167号掲載【Web特別ノーカット版】より)
これまで6人のヴァイオリニストのシャコンヌを比べてみましたが、
彼女の言葉にあるように、
それぞれのヴァイオリニストたちの一つ一つの細かい奏法、ボーイングやフィンガリング、アーティキュレーションやフレージングという選択からバッハ作品に対する取り組み方まで、全てがそれぞれの人格を表している。
またどの時代に、どんな状況や流れの中にいて、その中でそれぞれが課しているミッションや追求すべきものが垣間見れたと思います。
どの演奏からも彼らの演奏家としての信念、音楽への向き合い方を説得力を持って感じますが、それがこんなに異なった解釈で表れているのが、クラシック音楽の面白いところ。
どれが正解なんてなく、作品と音楽と演奏者の関係性が
こんなにいろいろな可能性と広がりを持っているということにワクワクします。
そしてその関係を深めることは人生を通して終わりなく続くのだということを改めて教えてくれる。
私たちがクラシック音楽をやっている意味と喜びを考えながら、
(最後まで読んでくださり、ありがとうございました!)
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